今日は何の日 ~ 4月20日
明日4月20日は「郵政記念日」として知られています.
日本で「郵便」というと,書類や小包を目的地に送り届ける通信制度で切手を貼ったら誰でも利用できるもののことを指します.
こんな単純なシステム,大昔からあったのかと思いきや,現在のような誰でも利用できてしかも全国どこでも料金が均一というシステムはかなり新しいものなのです.
今回はなぜ4月20日が「郵政記念日」と呼ばれるのか解説したうえで,郵便の歴史に迫ってみたいと思います.
また,郵便は開始直後「郵便箱におしっこがかけられる」というイタズラが頻発しました.これは何故なのでしょうか?
さらに素朴な疑問として,郵便ポストはなぜ赤色なのでしょうか?
このあたりの理由もご説明しましょう(笑)
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4月20日はなんで「郵政記念日」なの?
4月20日はなぜ「郵政記念日」なのか?
その答えはズバリ,1871年(=明治4年)4月20日に,現在の郵便制度が始まったからにほかなりません.
ではそれまで(つまり,江戸時代)の手紙配達はどうしていたかというと,もっぱら「飛脚」に頼っていました.
飛脚はご存じのとおり,人が人力ないし馬力で荷物や書類を届けるシステムです.
飛脚は当時非常に高価でだれでも利用できるものではなかった上,全国ネットワークでないという問題がありました.
またその上,地域ごとに別の「飛脚」組織で連携しあっていたため,連携がうまくいかない時は到着が遅れたりするという,かなり深刻な問題がありました.
そこで,明治4年,前島密(まえじま ひそか) という人がイギリスの郵便システムを参考にし,現在の郵便システムを作り上げたのです.
4月20日はこの郵便制度が始まった日であると言われています.
郵便は飛脚と比較して
- 料金を前払いし「切手」を貼ることで証明するシステムを採用した
- 全国どこでも個人宅に同料金で配達できた
- 比較的安価で,誰でも利用できた
といった点で優れていました.
時代とともに名前がかわる「郵政記念日」
さて,では「郵政記念日」と名付けられたのはいつなのでしょうか?
実はこれ,とっても新しくて2001年のことなのです.
しかし,いくらなんでも「新しすぎる」と思いません? そうなんです.実は郵便制度の開始を記念して最初についた名前は「逓信(ていしん)記念日」となっており,1934年に名づけられたとされています.(当時存在した,郵便と電気通信をつかさどる「逓信省」にちなむとされています)
時代はすすみ1950年,逓信省は郵政省・電気通信省の2つに分離されたため,やはり省の名前を取り「郵政記念日」と改称しました.
しかし,1959年に『「郵政省」の名前を「逓信省」に戻そう』という法律案が国会に提出され衆議院で可決されたため,参議院でも多分可決されるだろう,ということで記念日の名前をまた「逓信記念日」に戻しました.
すると予想に反してこの「郵政省の名前を逓信省に戻そうよ案」は参議院で否決されました.結果,省の名前は「郵政省」なのに記念日は「逓信記念日」になるという,実に宙ぶらりんな状況が40年余り続きます.
そして2001年(このあたりになってくると,私も物心ついていたのでずいぶん覚えています^^;),中央省庁再編に伴い,郵政省と自治省,総務庁がが合体し,郵政事業庁と総務省が出来ました.そこで,また記念日の名前を「郵政記念日」に戻し,今に至るわけです.
ずいぶんややこしいですね(笑)
少し整理しますと,
1934年に「逓信記念日」ができる ⇒ 1950年「郵政記念日」に改名 ⇒ 1959年やっぱり「逓信記念日」に戻す ⇒ 2001年にまたまた「郵政記念日」に戻す
となっています.
郵便初期のこぼれ話
郵便制度開始直後(つまり1871年),郵便ポストは黒色でした.
そして,日本における公衆便所の設置が1872年から.(ちなみに日本初の公衆便所は横浜に設置されたそうです)
そう,郵便が始まったのとほとんど同じ時期に,公衆便所の設置が始まったのです.
当時の街中は街灯が少なく,夜道は暗かったため,郵便箱は大変見づらかったと言われています.さらに,当時は郵便が始まったばかりだったので「郵便(ゆうびん)」という文字を見慣れている人はおらず,郵便箱に書いてある「郵便(ゆうびん)」を「垂便(たれべん)」と読み間違える人が続出しました.
結果,郵便箱におしっこをする人が発生したわけです.
「それもこれも郵便箱が見づらいから悪いんだ」ということで.1901年,目立つ色「赤色」にポストは塗られるようになったのです.
郵便も最初は前途多難(笑)だったのです!
歴史を勉強していると,こういったことが目に入ってきて面白いですね!