今日は何の日 ― 4月12日
2016/04/17
明日,4月12日って何の日か知ってます?
実は4月12日は「パンの記念日」であり,明日以外の毎月12日は「パンの日」となっています.
しかし,「パンの日」と言いながら,この記事のタイトル画像はご覧のとおり「乾パン」ですので,勘の良い方はもう感じ取ったかもしれません.
そう,パンはパンでも,今日は「乾パンの日」なのです.
しかしなぜ明日が乾パンの記念日になっているのでしょうか?
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そもそも「パンの記念日」が定められたのはいつ?
「パンの記念日」が定められたのは,1983年のことです.(結構新しい!)
「お米」ではなく「パン食」を普及させることを目的とした「パン食普及協議会」が1983年,歴史にちなんで4月12日を「パンの記念日」と定めました.
さて,「歴史にちなんで」と申し上げました. つまり,4月12日にかつて「乾パン」に関する何かがあったということですね!
今でこそ「おやつ」や「災害時の非常用食料」として扱われる乾パンの歴史はどうなっているのでしょうか?
少し詳しく見てみましょう.
乾パンの歴史
登場の歴史的背景
時は1800年代.
日本は江戸時代であり,江戸時代というと江戸幕府は「鎖国政策」を続けている時期でした.
しかし,1840年には隣国の清国(現在の中国)でアヘン戦争が起こり,イギリスと清国は大戦争を繰り広げます.(最終的にイギリスの勝利)
つまりこの頃,列強(イギリスやアメリカ)はアジアの国々への干渉を強めてきていたのです.
日本とて例外ではなく,1853年にはペリーが来航し,1854年には鎖国を解き開国せざるを得なくなったのは皆さんご存じのとおりです.
そんなご時世,つまりいつ外国が日本に攻めてくるかもわからないご時世に,「戦闘糧食(せんとうりょうしょく)」(=兵隊さんが簡単に持ち歩けて,栄養がある食事)の用意もない日本は,かなりまずい状態でした.
(当時の日本は米が主食であり,米は持ち歩くのこそ容易なものの,「炊く」必要があるため,おおよそ「簡単な食事」とは言えないものでした)
これではいかんと,江戸幕府は「携帯性」「保存性」「栄養」の3点が優れている食料の開発に乗り出します.
そんな中,1842年4月12日,伊豆韮山(いずにらやま,現在の静岡県)の代官,江川秀龍(えがわひでたつ)が乾パンを日本で初めて焼き,これが非常食として用いられるようになります.
江川秀龍は当時,日本という国を守ることにとても熱心な方だったので,「国防上の理由から」米ではなくパンの方が優れていると判断し,日本で初めてパンを焼いたと言われています.(ちなみに,江川秀龍は通称,江川太郎左衛門ともいいました.こちらの名前の方が有名かも・・・(汗
乾パンの普及と改良
何はともあれ,このようにして日本で作られるようになった乾パンは,明治時代になって比較的よく食べられるようになります.
それは,1877年(明治10年)に勃発した西南戦争です. これは現在の九州地方で西郷隆盛を中心として起こった士族反乱ですが,このとき明治政府軍(=大日本帝国陸軍・海軍)で支給されたのが乾パンだったのです.(特に,海の上で闘わねばならない海軍で支給されたそうです)
その後も,乾パンは日本人の味覚に合うように,より保存性を高めるように改良がくわえられました.
やがて乾パンは「重焼麺麭(じゅうしょうめんぽう)」と呼ばれるようになります.重焼麺麭は「繰り返し焼き固めたパン」の意味です.
縁起が悪いと名前が変わって…
さて,明治時代に日本は日清戦争,日露戦争という大戦争を二回経験しています.
特に日露戦争は,日清戦争に比べて戦死者数10倍という,日本が大打撃を受けた戦争でした.そんな中「重傷」と読みが同じ「重焼(じゅうしょう)麺麭」なんていわれると,兵隊さんも萎えてしまいます.
そういった背景から,「重焼麺麭」はやがて「乾麺麭(かんめんぽう)」と呼ばれるようになります.
その後,大正,昭和と時代を経るにつれ,乾麺麭もどんどん改良されてゆき,今のものとほとんど変わらない「乾パン」ができ,名称も「乾パン」と変わったのです.
最後に
いかがでしたか? 非常食としてとっても有名な「乾パン」一つとっても,無限に雑学できてしまいます.
学校で聞いても眠くなるばかりだった歴史の授業も,こういう小話を挟んでくれると結構面白かったんですがね…