今日は何の日 ~ 4月18日
新年度って,いろいろと生活ががらりと変わることがあって,面倒ですね.私も最近大学院に入学しまして,慣れないことだらけでなかなか忙しいです.
それはさておき,今日4月18日って何の日か知ってますか?
実は4月18日は「発明の日」として知られています.しかしなぜ4月18日なんて中途半端な日が「発明」と結びつくのでしょうか?
実はこれ,現在施行されている法律と関係があるのです!
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目次
「発明の日」はいつできたの?
「発明の日」が出来たのは結構新しく,今から60年ちょっと前,1954年のことです.しかし,その由来は非常に古く,なんと1800年代までさかのぼります. 詳しく見ていきましょう!
「発明の日」は1885年4月18日に「専売特許条例」が公布されたことにちなんで,1954年に定められました.
注意してほしいのはあくまで「公布」された日であるということです.
法律には制定」「公布」「施行」の3段階があります.
簡単に説明しますと,
- 「制定」は『法律を作ること』
- 「公布」は『国民に「~という法律を作ったよ」と発表すること』
- 「施行」は『実際にその法律を運用すること』
となります.
したがって,1885年の4月18日に「専売特許条例」は国民に対して発表されたことになります.(同条例の施行は3か月後の7月1日でした)
さて,ここまで「専売特許条例」と簡単に言ってきましたが,これはどういう法律なのでしょうか?
実はこの法律,現在の「特許法」の前身となるものなのです.この法律は現在,非常に重要なものとして扱われているため,わざわざ4月18日に記念日が設定されているわけですが,なぜそこまで特許が重要なのでしょうか?
その秘密を探るために,特許の意味や歴史を簡単にまとめてみました!
そもそも特許って?
「特許とは何かご存知ですか?」という質問をすると,ほとんどの方は「知っている」と答えます.
(最近放送されたドラマ「下町ロケット」でも特許紛争のお話が描かれましたしね.)
しかし,「特許が何のためにあって」「どういう目的のために運用されているか」は案外知られていないように感じます.
そこで,この記事では簡単に特許の意味と価値について説明してから,日本の特許の歴史を調べてみたいと思います.
特許の意味と価値
面白い物語や,素晴らしい音楽,役に立つ機械.これらはすべて我々の生活を豊かにするものです.
しかし,人類の豊かな生活は,発展に次ぐ発展の上に成り立っているものであり,誰も新しいアイデアを出さないようになってしまったら,発展はそこでストップしてしまいます.
このように発展が止まってしまわないためには,発明をする人や,音楽を作る人,そして物語を書く人々が「やる気」をなくさないようにしなければなりません.
簡単な例を挙げてみましょう.
例えば,あなたがものすごい小説を考えたとします.しかしその小説を発表した直後,あなたよりも有名だけれど能力が低い人が,あなたの小説を丸写しして発表してしまいました.
このような時,みんながあなたの小説には見向きもせず,丸写しした泥棒ばかりほめたりすると,あなたはどう思いますか?
もちろん怒りを感じるでしょうが,時間がたつと「どうせやっても評価されないならやるだけ無駄」と感じてしまうのではないでしょうか?
そうすると,丸写しした人はあなたよりも能力が低いので,新しい小説を書くことはできず,あなたはやる気をなくして小説を書かなくなってしまったので,小説の発展がここで止まってしまったことになります.
このような状況を防ぐために考え出されたのが「知的財産(ちてきざいさん)」という考え方です.
「知的財産」とは簡単に言うと「価値があって,他の人にマネされたり盗まれたりしないように守られている情報」のことです.
「知的財産」を守るための制度や権利にはいくつかの種類があり,「著作権」「特許」などが有名どころとして知られています.
「著作権制度」は誰かが書いた絵や文章を他の人が真似するのを禁止するもので,「特許制度」はだれかの「発明」を他の人が真似するのを禁止するものになります.
このように,『最初にその情報を生み出した人を保護することで,その人が権利を主張しやすくし,どんどんいろんな発明をしてもらって人々の生活を豊かにしよう』というのが特許の基本的な考え方になります.
日本における特許の歴史
さて,特許がどのようなものかは理解していただけたかと思います.
では日本で特許に関する決まりができるまでの流れはどのようになっていたのでしょうか?
江戸時代にはそもそも特許がなかった
江戸時代,日本は鎖国体制を敷いて,海外との交流を絶っていました.
そんな中1721年,「享保の触」という命令が江戸幕府から出され,「職人たちは新しいものを作ってはいけない」ことになりました.
今から見るとずいぶん滅茶苦茶な法律に見えますが,これは当時の日本の生産人口が少なかったことに起因します. 1721年頃の日本の人口は,およそ3000万人強であった,と多くの研究者が報告しています.
そして,その当時は現在の「工場」のようなものはなく,あらゆる生産は各分野の「職人」の手作りによって行われていました.
したがって,その「職人」が新しいものを作るために,普段の生産をおろそかにしてしまうと,すぐに物不足が発生し,物価の急上昇を招く恐れがあったのです.
そこで,庶民の生活が急に困難になる事態を防ぐため,幕府は物価を安定をめざし,先述の「享保の触」を出したのです.
結果,この時代は新規の創作活動が禁止されたため,「特許」という考え方を作る必要もありませんでした.
明治時代以降に「特許」ができる!
日本は1854年,ペリーに迫られ開国し,諸外国の文化を受け入れざるを得なくなりますが,当時の日本人は「新しいもの」を忌避する傾向にあったため,あまり特許の重要性が理解できませんでした.
結果,明治4年(1871年)に「専売略規則」という特許に関する法律が公布されますが,施行はされずに終わっています.
しかし,10年の準備期間を経て,日本が急速に近代化を進める中で,「やはり特許の考え方は必要だ」となり,明治18年(1885年)に「専売特許条例」が公布されます.
そしてこの法律は「専売略規則」のように施行中止になることもなく,きちんと施行され,同年7月1日には初めての特許の出願がありました.
このように,「日本で初めて運用された,特許を守る法律」であることから,この日4月18日は歴史的に大変重要であるとされ,「発明の日」と名付けられたのです.
最後に
先ほどさらっと流した,「1885年7月1日に出願された初めての特許」は堀田瑞松(ほったずいしょう)という人の「堀田錆止塗料及ビ其塗法」(堀田が発明した錆び止め塗料と,その塗り方)であると言われています.
この特許は同年8月14日に認められ,堀田さんは「日本の特許取得者第一号」となりました.このことから,8月14日を「専売特許の日」と呼ぶそうです.
今の日本の発展を支えている特許が,明治時代にようやく制定されたことを考えると,この短期間の間によくここまで日本は発展したものだと思いますよね.