「セーラー服」の由来と歴史
2016/03/27
街中でよく見かける「セーラー服」の女の子.
良く見かける理由は当然,「セーラー服」を制服として採用している学校が非常に多いからです.ところで,いったいセーラー服が中学生~高校生の制服として採用されたのはいつからなのでしょうか?
そもそもセーラー服は,いつ生まれたものなのでしょうか? 意外と知らないものです.
そこで,今回は「セーラー服」の由来と歴史について探っていきましょう!
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目次
「セーラー」の意味とは
セーラー服(sailor suit)の 「sailor」 は実は「水兵(=海軍兵士)」のことです.
そう,つまり「セーラー服」とは「海軍兵士の服」という意味なのです.
ではなぜ,海軍兵士の服が女学生の制服になったのでしょうか? 今回は歴史順に詳しく見ていくことにしましょう!
イギリス海軍の「セーラー服」採用
セーラー服の原型は1800年代前半にイギリスで完成したと言われています.その当時,イギリス海軍では制服が制定されていなかったので,「各船ごとに艦長が趣味で制服を決める」,といったことを行いました.
このような,同じ軍隊に所属する兵士が全員バラバラの服を着ているというのは問題があったため,1857年,イギリス海軍本部は制服を制定することにしました.
そこで「海軍兵士用の制服」として選ばれたのが現在の「セーラー服」だったのです.
その後,各国の海軍はイギリス海軍に倣い,「海軍兵士用の制服」として次々と「セーラー服」を採用していきます.
(1858年にはフランス海軍が,1862年にはアメリカ海軍が,そして1872年には旧日本海軍もセーラー服を採用しています.(後述))
「ファッション」としてのセーラー服
さて,このようにして海軍制服として世界中に広まったセーラー服ですが,イギリス国内ではセーラー服がファッションとして,民間の様々な人々にも着られるようになります.
最初は「子供向けの服」として流行し,男児はセーラー服にズボン,女児はセーラー服にスカート,というスタイルは19世紀にはすでに浸透しつつありました.
やがて,セーラー服は子供向けの服以外にも,女性のファッションとしてアメリカやフランス,その他の国で流行することになります.
日本に渡ったセーラー服
セーラー服は前章の通り,19世紀には海軍兵士の服としても,ファッションとしても世界規模で急速に広まります.
もちろん,当時の日本も例外ではありませんでした.
旧日本海軍の「水火夫服」
1872年,イギリス海軍のセーラー服採用からわずか15年で旧日本海軍もこの服装を「水火夫服」として正式採用します.(「水火夫」は水夫の意味で,やはり「海軍兵士」という意味があります.)
こうして日本に入ってきたセーラー服は,「軍隊」という大規模な組織で正式採用されたことで,一般民衆の目にも多く触れるようになります.
女学生の制服として
日本にセーラー服が持ち込まれてから50年.洋服も一般に浸透してきた頃,京都の平安女学院がセーラー服を日本で初めて「学校制服」として採用します.1920年のことです.
平安女学院が採用した制服は現在のものとは少し異なっていたそうですが,翌年(1921年)には,福岡女学院が現在のものとほぼ同形のセーラー服を採用しました.これが日本全国の女学生の服装として広まることになり,現在のような制服事情になったわけです.
コスプレ文化としての「sailor fuku」
さて,ふざけたタイトルがついていますが,至って真面目です.
最初に書いた通り,セーラー服は英語ではsailor suitと書きます. しかし,日本の「セーラー服をきた女子生徒」というイメージは,今やコスプレ文化とともに世界中に広まっており,「sailor fuku」というと,海外でもオタク文化として認識してもらえる時代になっているようです.
いや~,これは喜んでいいことなのか!?(笑
最後に
今回はセーラー服の由来について掘り下げてみました.
「セーラー服」なんて言葉はもう完全に一般名詞化していますが,やはりちゃんと由来があるんですね.
ちなみに,セーラー服を現在も軍服として採用している国はかなり多いので(海上自衛隊もそうですよ!),いろいろ調べてみると面白いかもしれませんよ.