「こどもの日」の由来は? なぜ鯉のぼりをたてるのか
2016/03/20
私自身は子どものころから,「こどもの日といえばゴールデンウィーク!という印象が強いですが,皆さんはいかがでしょう?
ご家庭によっては,本格的な鯉のぼりや五月人形を飾ったり,お風呂にショウブの葉っぱなどを浮かべて『菖蒲湯(しょうぶゆ)』にするというところも,あるかもしれませんね.こうした特別なことがあると,子供のころは5月5日が楽しみになったものです.(今も学校が休みになるのでうれしいですが(笑)
しかし,そもそも「こどもの日」はどうして5月5日にあるのでしょう? また,どうして「鯉のぼり」や「菖蒲湯」といった習慣が出来たのでしょうか?
今回はこの謎を探るために,「こどもの日」の歴史を紐解いていきましょう!
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「こどもの日」の由来
実は,現在の「こどもの日」の起源は古代中国にあると言われています.それが奈良時代の日本のある風習と結びつき,現在のような「男の子のお祝いの日」になりました. この章では,この流れについてもっと詳しく見てみましょう
端午の節句
ご存じのとおり,5月5日は「端午の節句」の日でもあります.現在の「こどもの日」はこの「端午の節句」が由来となっています
「節句」という言葉は「季節の折り目」のことを指すと言われており,起源は古代中国にあると言われています.古代中国ではこの日を「薬草採取の日」としていました.この行事が奈良時代,日本にわたり今の端午の節句となったのです.
ところで皆さんは「十二支(じゅうにし)」をすべて言えますか?
「子(ね)・丑(うし)・寅(とら)・卯(う)・辰(たつ)・巳(み)・午(うま)・未(ひつじ)・申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)・亥(い)」ですね.
旧暦では「子(ね)の月」が「11月」に対応していましたので,そこから丑・寅・卯・辰・巳・午と,6か月分進んだ「午(うま)の月」は「5月」に相当します.(どちらも旧暦ですので,今の月とは異なります.)
このことから,かつての「端午の節句」は「午の月(5月)」の一番最初の午の日(年によって異なる)に行うことになっていました.しかし,「午」は「ご」と読むことが出来,これは数字の「五」と読みが同じであることから,江戸時代には「5月5日が端午の節句」と定められたのです.また,5月5日になった理由は単にこのような「ダジャレ」だけでなく,昔の人々は「数字が重なると神様の力が強く働くからめでたい」と考えたからでもあります.
何はともあれ,このようにして端午の節句は5月5日と定められ,これが現在の「こどもの日」になったのです.
「端午の節句」はもともと女性の行事だった!
男の子の赤ちゃんが生まれて,初めて迎える端午の節句を「初節句」と言う通り,「端午の節句」は男性の行事となっています.
しかし,元来端午の節句は女性の行事でした.どういうことでしょうか?
それは奈良時代の日本の風習と関係があります.
当時の日本は現在と違いパンなどなかったので,米が主食でした.したがって,稲作は生活の中心となっていましたが,その中でも「田植え」は最も大切な行事であったとされています.女性は「生命を生み出す源」とされていたことから,田植えは女性の仕事でした.そこで,女性たちは田植え前に身の穢れ(けがれ)を払い,身を清める儀式を行う必要がありました.この習慣のことを「五月忌み」といいます.
「五月忌み」における儀式はその名の通り旧暦5月に行われましたが,この風習と中国から伝わった「薬草採取の日」が合体した結果,端午の節句となったのです.
このように,日本古来の「端午の節句」は間違いなく女性の行事でした.
ちなみに,この五月忌みの儀式では「菖蒲(しょうぶ)の葉」などを用いて神事を行ったとされています.これが現在の「菖蒲湯」に通じているのですね!
「男の子のお祝い」への変化
さて,端午の節句が本来女性の行事であることはわかりました.では,これがなぜ現在のように「男の子の行事」に変わってしまったのでしょうか?
実はここでもまた,「ダジャレ」が出てくるのです.
端午の節句が伝わった奈良時代から平安時代を経て鎌倉時代となると,もう武士の世の中.
武士(男)たちにとって大切なのは,「武道」です.そして「武道を重んじること」を「尚武(しょうぶ)」といいます.
もうお分かりですね?
前の章では「五月忌みの行事で菖蒲の葉を使用していた」ことをご説明しました.そう,この「菖蒲」と「尚武」の読みが同じことから,端午の節句を「菖蒲(尚武)の日」と盛んに祝うようになったのです.現代でも5月5日に「兜」を飾る風習があるのも納得ですね!
なぜ鯉のぼりを飾るの?
さて,「こどもの日」の由来が「端午の節句」であり,端午の節句が もともと女性の神事であったのが 武士のお祭りに変化したことはお分かりいただけたかと思います.
しかし,ここまでの説明では「こどもの日」の象徴ともいえる「鯉のぼり」の説明が出てきませんでした.そこで,ここでは「鯉のぼり」をなぜ飾るのかを説明していきましょう!
鎌倉時代に武士のお祭りとなった「端午の節句」ですが,江戸時代ともなると祝い方もずいぶん派手になってきます.
当時,武士たちは祝いのしるしとして,玄関前に幟(のぼり)を立てていました.それに対抗したのが庶民です.
庶民達は武士の立てる立派な幟に対抗して,「鯉のぼり」を作ったとされています.なぜ「鯉」なのかというと,「鯉が黄河の滝を登ったら龍になる」という伝説に基づき「立身出世」を引っ掻けたからであると言われています.
(現在でも,「鯉の滝登り」は「目覚ましく立身出世する」という意味のことわざになっています.)
最後に
いかがでしたか?
学校や会社がお休みになってうれしい「こどもの日」.意外にも深い歴史があるものです.
せっかくルーツを知ったことですし,今年の5月5日は菖蒲湯にじっくり浸かって,日頃の疲れを落としてみるのもよいかもしれませんね!